GENERAL MANAGER INTERVIEW

広報部長が語る、キャリアと挑戦

自分の可能性を信じて。
一歩踏み出した先に、
キャリアは広がっていく。

木村 有加

/ 2006年入社

広報部長

Profile

2006年入社。西武鉄道の女性総合職第1期生として、駅係員からキャリアをスタート。車掌を経て運転士資格を取得し、運転士として乗務。その後は人事部での採用業務、計画管理部での特急電車のプロモーションなど、本社部門のさまざまな業務を経験する。2014年から広報業務に携わり、2021年には課長として西武ホールディングスへ異動し、決算発表をはじめとする経営情報の発信などグループ広報も経験。2024年4月より西武鉄道 広報部長。現在は社内外への情報発信を担うとともに、一人ひとりが自分の意見や強みを発揮できる組織づくりにも取り組んでいる。

「会社が変わるなら、
自分もその変化に関わりたい」
と思った。

学生時代から鉄道業界を
志望していたのでしょうか。

最初から鉄道一本だったわけではありません。就職活動では、「人々の生活に身近で、暮らしに寄り添える仕事がしたい」という想いがあって、食品メーカーやホテル、百貨店など、いろいろな業界を見ていました。もう一つ大切にしていたのが、自分の可能性を最初から限定したくないということです。鉄道会社なら鉄道だけではなく、ホテルや不動産など幅広い事業にも関われる可能性がある。それなら将来、さまざまな仕事を経験できるかもしれないと思い、鉄道業界に興味を持ちました。

学生時代は、とにかくアルバイトをたくさんしていました。接客が好きで、常に2つ以上、多い時は3つ掛け持ちしていましたね。大学4年生の頃は、土日はテーマパーク、平日の昼間は映画館、夜は居酒屋という生活でした(笑)。接客そのものも好きでしたが、働く場所によって出会う人が全然違うことも面白かったんです。映画館にはすべての映画作品に目を通している人がいたり、俳優を目指している人がいたり。さまざまな価値観の人と一緒に働くことが楽しかったんだと思います。

居酒屋やテレアポのアルバイトは、
西武鉄道への入社が決まってから始めたそうですね。

そうなんです。入社したら最初は駅で働くと聞いていたので、「駅なら酔ったお客さまへの対応もあるだろう。それなら、今のうちに接し方を知っておこう」と思って居酒屋で働き始めました。電話もそれほど得意ではなかったので、「会社に入れば電話応対もする。だったら、ちゃんとした電話応対を身につけておこう」とテレアポのアルバイトもしました。今振り返っても、私は何でも勢いだけでやってしまうタイプではないんです。結構、石橋を叩くタイプ。できる準備はしておきたい。でも、最後の最後は「まあ、なんとかなるでしょう」と思って踏み出す。そこは昔からあまり変わっていないかもしれません。

西武鉄道との出会いは、
大学時代のインターンシップだったのですね。

当時の西武鉄道は、女性総合職の採用実績がまだなく、現場でも女性を受け入れる準備が十分に整っているとは言えない状況でした。実際にインターンシップで現場を回ると、女性用の制服が用意されていないなど、女性が働くことをまだ具体的に想定していないと感じる場面もありました。私はそこで感じたことを、「ここはこうだった」「こんなことを言われた」と全部書いて、インターンシップの最終日に人事へ提出したんです。どんな反応をされるのかな、と少しドキドキしながら(笑)。ところが人事の方は、それを否定するのではなく、「女性の視点も取り入れながら、会社として変わっていきたいから」と真摯に話を聞いてくれました。その様子に触れ、自分もこの会社を変えていく一人になれたら面白いんじゃないかと思ったんです。環境が完全に整っていないことへの不安よりも、「これから変わっていく会社に入る」ということへの興味の方が大きかった。他業界からも内定をいただいていましたが、最終的には西武鉄道を選びました。入社時点では、今の自分の姿はまったく想像していませんでしたね。

CHAPTER 01

CHAPTER 02

運転士になるか、本社へ進むか。
1週間、本気で迷いました。

入社後は、駅係員、車掌、
そして運転士を経験されています。
運転士への挑戦は最初から考えていたのですか?

むしろ、かなり迷いました。総合職として入社しているので、「早く本社に行って、総合職としての仕事を経験した方がいいのではないか」という気持ちもありました。同期の総合職は6人いて、車掌まで進んだのが3人。そこから運転士まで進んだのは、結果的に私一人でした。しかも私は自動車の運転はペーパードライバーだったので(笑)、「私に運転士が務まるのかな」という不安もありました。人事から運転士の試験を受けるかどうか聞かれて、1週間ほど本気で悩みました。その時思い出したのが、高校時代の担任の先生の言葉でした。先生から、「平坦な道といばらの道があったら、いばらの道を進んでみてもいい。挑戦して、失敗してもいい」という話を聞いたことがあって。その言葉が学生時代からずっと心に残っていたんです。だったら、やってみよう。そう思って運転士に挑戦しました。

結果として、その経験はその後の
キャリアにもつながりましたか?

ものすごく大きかったと思います。運転士になったことで経験できる仕事が増えましたし、現場で一緒に働く人も増えました。本社へ異動してからも、現場に知っている人がいることや、自分自身が現場の仕事を経験していることが、仕事を進める上で大きな財産になりました。振り返ると、運転士への挑戦は、私の会社人生の中でもかなり大きな転機です。もしあの時、「早く本社で実績をあげるべきだ」と決めつけていたら、今とは違うキャリアになっていたかもしれません。だから今は、自分のキャリアを早い段階で決めつけなくてもいいと思っています。その時は「遠回りかもしれない」と感じる経験でも、後になってみると、それが自分の強みになっていることがありますから。

目指していなかった「広報」が、
いつの間にか自分の仕事になった。

運転士を経験した後は、本社部門へ。
現在は広報部長ですが、
もともと広報を希望していたのでしょうか。

入社した頃は、こんなに長く広報に携わるとはまったく思っていませんでした。人事部で採用を担当したり、計画管理部で特急電車のプロモーションに関わったり、いろいろな仕事を経験する中で、少しずつ今につながってきたという感覚です。広報の仕事も、外から見ると華やかに見えるかもしれません。でも、私自身、広報は「黒子」だと思っています。何かいい取り組みをしている部署があれば、それをどうすれば世の中に伝えられるのかを考える。広報が主役なのではなく、実際に取り組んでいる社員や部署が主役です。一方で、事故や問題が起きた時には、各部門を守るために広報が前に出なければいけないこともあります。そこは、絶対に逃げない。華やかな情報を発信することだけが広報の仕事ではないんです。

西武ホールディングスの広報では、
経営に関わる情報発信も経験されていますね。

2021年に課長へ昇進したタイミングで、西武ホールディングスの広報へ異動しました。決算発表の時には、各担当部署に一つひとつ確認しながら、記者の方からどんな質問が来るかを想定してQ&Aをつくっていきます。2023年に経営体制を変更した際には、発表前の情報管理も担当しました。絶対に外部に漏れてはいけない情報ですから、プレスリリースを出す瞬間までかなり緊張していました。広報をしていると、自分の部署だけでは仕事が完結しません。何か社会で出来事が起これば、「西武鉄道ではどうなっていますか」とメディアから問い合わせが来ることもあります。そのたびに担当部署へ行き、資料や要領を読み込み、専門の社員に話を聞き、「どこまでなら伝えられるのか」を一緒に考える。だから広報にいると、会社のいろいろな仕事を知ることができます。今まで知らなかった専門的な仕事に触れるたびに、「こんなことまで考えて仕事をしているんだ」と驚くこともあります。特に自然災害などが発生した時、運輸、電気、工務、車両など、それぞれの専門部署の社員が連携しながら、お客さまのために動いている姿を見ると、本当にかっこいいなと思います。一緒に働いている人たちを尊敬できることって、会社で働き続ける上で、とても大切なことだと思うんです。「こういう人たちがいるなら、自分も頑張りたい」「この会社に自分も貢献したい」。私自身も、周りの人からそういう気持ちを何度ももらってきたように思います。

CHAPTER 03

CHAPTER 04

一人でここまで来た、
という感覚はありません。

女性総合職の第1期生として入社し、
現在は部長です。
振り返ると、女性として道を
切り拓いてきたという感覚はありますか。

あまり「自分が切り拓いてきた」という感覚はないんです。入社した頃は女性の総合職がいなかったので、周囲の方もどう接したらいいのか分からない部分があったと思います。でも、基本的には優しい人が多くて、女性だから差別されたと感じたことはありません。むしろ、配慮してもらうことの方が多かったですね。たとえば「重たいから持たなくていいよ」と言ってもらう。でも、それがずっと続いてしまうと、いつか「女性はこれはやらなくていい」ということになってしまうかもしれない。だから、自分にできることなら「私、できます」と言ってやるようにしていました。自分のためでもありますが、後から入ってくる女性社員が働きにくくならないようにしたいという気持ちもありました。ただ、それも私一人で何かを変えてきたということではありません。仕事を続けてこられたのは、本当に周囲の人たちのおかげだと思っています。

出産後、時短勤務をしていた時期も
あったそうですね。

当時は今ほど、育児をしながら働く女性社員が多くありませんでした。上司や先輩たちにとっても、時短勤務の社員と一緒に働く経験はそれほど多くなかったと思います。それでも時間になると、「もう時間じゃない?」「帰った方がいいよ」と声をかけてくれました。私自身もいろいろ迷った時期はありましたが、そのたびに周りの人に支えてもらいました。だから、「女性総合職第1期生だから頑張ってここまで来た」というより、いろいろな人から機会をもらって、助けてもらって、その時々の仕事に向き合ってきた結果が今なのかなと思っています。キャリアって、自分一人でつくるものではないんですよね。

部長になった今、つくりたいのは
「自分の意見を言える」チーム。

現在は部長という立場です。
組織づくりで大切にしていることはありますか。

まず前提として、私は「女性だから」という理由で特別扱いされるのがあまり好きではありません。女性だけではなく、男性も含めて、一人ひとり得意なことも違えば、置かれている状況も違います。だから、一人ひとりが自分の強みを発揮できる環境をつくることが大事だと思っています。そのために、部長として意識しているのは、「自分の意見を言っていい」と思える雰囲気をつくることです。私が部長だからといって、私の考えが全部正しいわけではありません。広報の仕事には、そもそも一つの正解がないことも多いです。だから、若い社員にも「こうした方が面白いんじゃないですか」「私はこう思います」と言ってほしい。社内報などをつくっていても、ただ情報を並べて編集するだけでは面白くないんですよ。「自分はここが面白いと思った」「こんな経験をした」という担当者自身の感覚が入った方が、読む人にも伝わるものになる。せっかく仕事をするなら、仕事は楽しいものだと思ってほしいんです。もちろん、楽な仕事ばかりではありません。私自身も過去の仕事を振り返ると、「あの時は大変だったな」という仕事の方が記憶に残っています。でも、その後に「みんなで力を合わせてできてよかったね」「最後までやり切れてよかったね」が続く。私は、その方がいいと思っています。部長になった今は、自分が成果を出すこと以上に、メンバーが少し難しいことにも挑戦して、最後に「大変だったけど、楽しかった」と思えるように後押しすることが、自分の役割なのかもしれないと考えています。

CHAPTER 05

CHAPTER 06

キャリアは、
最初から
決めた通りに歩まなくていい。

これから社会へ出る学生、
特に女性の皆さんへ伝えたいことはありますか。

まず、自分で自分の可能性を狭めないでほしいと思います。「私はこれが向いている」「これはやりたくない」「女性だからこうした方がいい」と、最初から決めすぎなくていい。私自身も、入社した時から運転士になろうと思っていたわけでも、広報部長になろうと思っていたわけでもありません。駅で働いて、車掌になって、運転士に挑戦して。本社へ行ったら人事や計画管理の仕事をして、その後、広報の仕事に出会った。その時々で、「やってみます」と言ってきた結果、今があります。ただ、私は「とりあえず何でもやってみよう」と勢いだけで進んできたわけでもありません。運転士になる時も1週間悩みましたし、今でも新しい仕事をする時には、起こりそうなことを考えて、できる準備はします。石橋は叩く。でも、最後は「なんとかなる」と思って渡ってみる。それくらいでいいのかなと思っています。チャンスが来た時、「私にはまだ早いです」「私にはできません」と遠慮してしまうのではなく、「やってみたいです」と言えるように、水面下では準備しておく。そして、思っていた方向とは違う仕事が目の前に現れた時も、少しだけ視野を広げてみる。私も、最初から今のキャリアを描いていたわけではありません。でも、振り返ってみると、駅での経験も、運転士になったことも、本社で経験した仕事も、周囲の人たちとの出会いも、全部が今につながっています。だから、これから社会に出る皆さんにも、「こうでなければいけない」と自分を縛りすぎず、目の前に来たチャンスを楽しんでほしいですね。西武鉄道には、「やってみたい」と言った人に挑戦するフィールドを用意してくれる土壌があります。私自身、振り返ってみても、「やりたいのに我慢した」という感覚はあまりありません。仕事ですから、大変なことは当然あります。でも、不思議と「会社に行きたくない」と思ったことはないんです。それはきっと、一緒に働く仲間がいたからだと思います。一人で全部できなくてもいい。準備して、迷って、人に助けてもらって。それでも最後は一歩踏み出してみる。その一歩一歩が、振り返った時に自分のキャリアになっている。私自身、そうやってここまで来たのだと思います。